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熊本地方裁判所玉名支部 昭和36年(ワ)89号 判決 1964年5月19日

原告(反訴被告) 三井鉱山株式会社

被告(反訴原告) 川浪定資 外五名

主文

本訴につき

原告に対し、

被告川浪定資は別紙第一目録記載の建物を、被告村井政光は別紙第二目録記載の建物を、被告森トミ、同森克代、同森静代、同森満夫、同森幹代は別紙第三目録記載の建物を、被告中嶋広は別紙第四目録記載の建物を、被告原口美治は別紙第五目録記載の建物を、被告竹本肥種は別紙第六目録記載の建物を

各明渡せ。

反訴につき

反訴原告等の請求を棄却する。

訴訟費用中反訴提起に要した訴訟費用は反訴原告等の共同負担とし、その他の本訴並びに反訴に要した訴訟費用は之を六分し、被告森トミ、克代、静代、満夫、幹代において共同してその一を負担し、その余の被告(反訴原告)等において各自その一宛を負担せよ。

事実

原告(反訴被告)訴訟代理人は本訴及び反訴につき主文第一、二項同旨及び訴訟費用について本訴は本訴被告等、反訴は反訴原告等の各負担とする旨の判決並びに本訴につき仮執行の宣言を求め、本訴請求原因として

一、原告会社は本店を東京都におき、事業所として大牟田市の三池鉱業所、三池港務所、その他各地に五鉱業所を設けて石炭の採掘販売を業としている会社である。

二、亡森乙次郎(元被告)及び被告川浪定資、村井政光、中嶋広、原口美治、竹本肥種は別表記載の日に原告会社三池鉱業所に雇われ夫々同表記載通り建物の貸与を受けこれに入居し今日に及んでいるが、亡森乙次郎及び右被告等は何れも同表記載の日に既に希望退職しているものである。

三、本件建物は、原告がその雇傭する従業員の住居施設として建設保有しているものである。従つて亡森乙次郎及び右被告等は右退職により当然且遅滞なく退去し、これを原告に明渡さなければならないにもかかわらず、退職以来数次に亘り明渡の催告を受けながらこれを拒否し、今以て不法占拠を継続している。尚右森乙次郎は、本訴係争中の昭和三七年九月一一日死亡し、その相続人である被告森トミ、克代、静代、満夫、幹代は乙次郎死亡後も引続き同建物に居住して之を不法占拠している。

仍て被告等に対し夫々右不法占拠中の社宅の明渡を求めるものである。

四、(一)本件社宅の使用が賃貸借で借家法の適用がある。(二)本件明渡請求は不当労働行為である。(三)本件明渡請求権の行使は信義則に反するから権利の濫用として無効である旨の被告等の各主張又は抗弁は何れもこれを否認する。

反訴答弁として

反訴原告等が三池炭鉱労働組合(三池労組)の組合員であつたこと、及び所謂三池争議について、反訴原告主張の日時中央労働委員会から第一次、第二次、第三次斡旋案が提示された結果、会社及び三池労組が反訴原告主張の内容の第三次斡旋案を受諾したことは認めるが、反訴原告等の退職が反訴被告会社の強要に因るもので、かかる強要による解雇は、不当労働行為であり、権利の濫用であり、公序良俗に反するから無効である旨の反訴原告等の主張事実は凡て之を否認する。

反訴被告の主張

一、昭和三五年九月九日付希望退職者(反訴原告川浪定資、同竹本肥種)について

右九月九日付希望退職者の退職原因は、反訴原告等主張のように昭和三四年一二月一五日付の指名解雇ではなく、その名の示すとおり昭和三五年九月九日付でなされた反訴原告等各自の自発的な希望退職の意思表示である。詳説すれば右意思表示は労使双方が適法に受諾することによつて三池争議を収拾させることになつた中労委第三次斡旋案(昭和三五年八月一〇日付)第二項(三)に基く勇退の意思表示であつて、会社は右勇退者に対しては前項(三)に基いて前年一二月一五日付の指名解雇を取消しているものである。この意思表示は同斡旋案第一項に定める一ケ月の整理期間の間に、各対象者が充分熟慮した末、別途指名解雇を適法に争う方法がある事を知り乍らこれに訴えることなく任意になされたものであつて、全く反訴原告等各自の自発的な意思に出たものである。三池労組が任意に承諾した右斡旋案に基き、三池労組関与の上でなされた前記勇退の意思表示を今になつて無効だと主張する見解は自己撞着も甚だしい。

二、その他の希望退職者(反訴原告村井政光、同中嶋広、同原口美治)について

反訴原告等の提出した希望退職届は会社の行つた希望退職募集に応じた反訴原告等各自の自発的な退職の意思表示に基くものであり、それ以外の意味は全くない。自己の意思に基いて行つた反訴原告等の退職の意思表示はそれがいわゆる希望退職であるゆえ全く適法である。

仍て反訴請求は失当であると陳べた。

本訴及び反訴の立証

<省略>

被告等(内五名は兼反訴原告)訴訟代理人は本訴につき原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする旨、反訴につき反訴原告等が反訴被告に対して雇傭契約上の地位を有することを確認する、訴訟費用は反訴被告の負担とする旨、の各判決を求め

本訴答弁として

原告会社がその主張の場所に本店及び各鉱業所を設け石炭の採掘販売等を業とする会社であり、亡森乙次郎(元被告)及び被告川浪定資、村井政光、中嶋広、原口美治、竹本肥種等が別表記載通り原告会社に雇われ、夫々同表記載通り社宅の貸与を受けこれに入居し今日に及んでいること、亡森乙次郎及び右被告等が何れも同表記載の日に形式上退職していること、右森乙次郎は本訴係争中の昭和三七年九月一一日死亡し、その相続人である被告森トミ、克代、静代、満夫、幹代が乙次郎の死亡後も引続き同建物に居住していること、及び本件各建物が原告会社の社宅であることは認めるがその余の原告主張事実は争う。

被告等の主張

第一、被告川浪定資、村井政光、中嶋広、原口美治、竹本肥種及び亡森乙次郎は、各々本件建物に入居するに際し原告と賃料五〇〇円乃至七〇〇円、賃料支払方法は毎月の被告等の賃金から相殺、賃貸借期限の定めなしの約定で賃貸借契約をしたものである。仮に然らずとするも

第二、本件社宅の使用関係は借家法の適用を受ける賃貸借契約である。

一、その有償性

社宅使用の有償的性格は、会社が社宅使用料をとつているかいないか、その額が多いか少ないかという問題ではなく、社宅制度そのものの沿革ないしは本質的性格の検討なくしては明らかにできない問題である。

したがつて、その沿革について述べる。

(一)  社宅制度の沿革

社宅制度は大体次のような歴史的過程をたどつて発達してきた。

産業革命にともなう大都市の発達、人口の集中は必然的に深刻な住宅難を生んだ。殊に新たに企業をおこそうとする土地では、その住宅不足もより一層深刻さを加えた。従つて、資本家は、企業をおこし経営してゆくには、それに必要な労働力を確保するため、どうしてもまず第一に労働者のネグラを用意しなければならなかつた。資本家自身が住宅を設備しなければ労働者を集めることができなかつたし企業経営もできなかつた。

とくに、鉱山地帯のような辺ぴなところでは、その必要は企業経営に絶対的に不可欠であつた。

このような事情で生れたのが社宅制度の端部をなすといわれるイギリスの小屋制度であり、パリやウイーンの兵営制度なのである。

このことは我国も同様であつた。

後進国として、資本主義を急速に押し進めるために必要な労働力を農村から安く買入れ、それを足どめする必要があつた。

そのように日本における出稼型賃金労働の特質と密接にからみあいながら出現したのが寄宿舎制度、飯場制度、納屋制度などの会社住宅だつたのである。

すなわち、社宅は労働者をよそから集め、定着させるために必要な設備として生れたといえる。まさに、労働力の「納屋」であり、一個の生産設備に外ならない。

それと同時に、社宅制度はそのようにして確保した労働力を、企業主が常に一手ににぎつておくための、つまり、労務管理の有効手段としても利用されてきた。社宅は、工場鉱山など、事業場の近くに集団的に設けられる。

そこには、会社側の職員が常駐もしくは巡回して、社宅に住む労働者たちの生活を監督するのが通常である。そしていついかなるときにでも、労働者たちを会社のために動員しうる態勢がとられてきた。

一九世紀の後半以降になると、社宅制度は、労働能率や、労働の生産性との関連で重要視されるようになつた。社宅を提供することによつて、労働者の遅刻、早退、欠勤を防止し、且つ生活の安定感から、労働者の勤労意慾をもりたてその反射として生産の増強を図ろうとした。

又、労働運動がさかんになるにつれて、社宅制度は他の福利施設と共に、組合運動緩和のための手段としても利用されるに至つた。

さらに、社宅について、企業主は(家主)としての営利をも忘れていなかつた。むしろ(独占家主)として高い家賃を賃金から天引していたとすら指摘されている(エンゲルス(住宅問題))。

社宅利用に関して家賃をとらないとか、とつたとしても僅かであることは各国に共通の現象であるが、それはなにも企業主の恩情を示すものではなく、「家賃は賃金から差引かれている」からに外ならない。特に我国では、社宅その他の福利厚生施設は、低賃金を補うという面が非常に強いのである。本来なら、労働者は賃金から家賃を払つて借家に住むところを、社宅に入つて低賃金に甘んじているというのが現状である。低賃金故に社宅を提供し、社宅を提供しているが故に賃金が引下げられるという関係にある。まさに社宅は一種の現物給与であり「見えざる賃金」なのである。

以上のことは、原告三井鉱山株式会社(以下単に会社という)の社宅制度にそのままあてはまる。

大牟田、荒尾両市にかけて多数存在する集団社宅は、まさに労働力確保のための「納屋」である。

辺ぴな、町から孤立した場所に立ちならぶ緑ケ丘集団社宅、大谷、勝立の各集団住宅は、労働力の確保のためだけに労働者の足どめだけに建てられたということを象徴している。

三池鉱業所では、昭和二八年に廃止された(世話方制度)が、今次斗争後、事実上復活した。世話方は、社宅居住者の出生、死亡、転出などの異動や、社宅営繕処理等を表面上の仕事としているが、この表面上の仕事の処理をとおして、社宅居住者に対する出勤の督励、平常の素行、思想、言動の調査などを行つて反組合的機能を果している。又、三池炭鉱労働者の賃金は僅かであり、家賃を支払えるどころか、内職をしなければ食べていかれない程の低賃金であり、その一部は働き乍ら、生活保護を受けているという状況である。まさに、社宅は現物給与の機能を果しているのである。

以上、社宅の本質として、一般に社宅が一見恩情を装いながらも、その実は労働者の生活を保護してやろうという恩恵として、給与されるのでなく、以上の企業経営の有効な方法として、ソロバンをはじいた上で建設され、保有されてきたものだ。したがつて、その有償的性格が非常に強いことを明らかにしてきた。

次に、本件社宅の特殊性に基いて、その有償性を検討してみる。

(二)  非居住者に対する住宅手当の支給による有償性。

本件社宅に、被告等が居住した当時、非居住者に対して、会社は、住宅手当の支給をなしていたことは、証拠上明らかである。

社宅が単なる厚生施設でないことは、(一)で詳細に述べたとおりであるが、仮に解釈例規のように、社宅は厚生施設であるとしても、本件社宅の供与は、賃金の一部であり、有償である。

労働基準法第一一条は「・・・名称の如何を問わず、労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのものをいう」とあり、解釈例規(昭和三三・二・一三労働省労働基準局長通牒)は、社宅等の住宅の供与は福利厚生施設であり労基法第一一条の賃金に入らないと言いながらも、社宅の供与について、供与をうけぬものについて、一定の社宅手当を支給する場合は、手当相当額の賃金と見るべしと述べている。

このことによつて、社宅は「見えざる賃金」から、労基法第一一条に言うはつきりした賃金となつたのであり、社宅の使用関係の有償的性格は、浮彫になつたであろう。

二、借家法の適用がある

(一)  本件社宅の使用関係は、雇傭関係と一体不可分ではない。被告等は雇傭契約を締結するときに、その内容として、社宅の貸借を含ましめたのではない。

会社は、従業員の資格をもつている入居希望者の中から一定の基準に基きながら、適当に入居者を選定し、それらの人々と個々に社宅貸借契約を結んでいる。

会社は、雇傭関係があるからといつて、必ず従業員に社宅を提供しなければならないものでもなく、従業員も又当然の権利として社宅の提供を要求しうる筋合のものではない。それはあくまでも雇傭契約とは、別個の社宅貸借契約に基く関係である。

主として従業員にしか貸与しないということは、社宅を利用しうる者の資格要件たるにすぎないのである。

現に、会社は雇傭関係の全くない、株式会社三池製作所、三井建設株式会社、警察官、職業安定所の職員、理髪屋等に、多数の社宅を貸与しているが、このことが、雇傭関係と社宅使用関係は全く別個の関係であることを証明している。

会社は、もともと自分の所有している社宅を他人に貸す場合、その相手方をいろいろ選択したり、又は一定の資格要件をきめたりするのは自由であり、相手が気にいらねば貸すことを断れば良い。会社は従業員を選んで貸す場合も、警察官及び他社の従業員に貸す場合もできるし、現にそうしているのである。

この場合、右の貸借が有償であり、賃貸借契約であれば、それはすべて借家法の保護をうけなければならない。

従業員に賃貸した場合だけ、借家法の適用を、はずす理由は全くないのである。なぜなら、社宅使用をめぐる従業員と使用者の関係は家屋所有者が対価をとつて相手方に使用せしめるというに尽き、賃貸借以外の何ものでもないからである。したがつて、「社宅が従業員の身分を失つた者の利用に委ねているときは、その限りにおいて建物は社宅としての性質効用を停止するが、建物の賃貸借であることは社宅としての性質をもつていようと否とに拘らず、終始変動はない。したがつて、社宅と呼ばれようとそれは賃貸借の目的となつている建物であつて、賃借人は賃借人として正当に保護されなければならない」(大阪高裁昭和二九・四・二三)のである。

このように社宅だからと言つても、主として従業員に貸与するからといつても、それは社宅を利用し得る者の資格要件にすぎないのであつて、社宅なるが故に借家法の適用自体を否定することはできないのである。

(二)  社宅の供与は恩恵的なもので、営利性はないか

社宅が本質的に企業の営利のために建設保有されているものであること、及び本件社宅の供与が、有償的性格を有し賃金とみなされることについては、既に一、その有償性の項で述べたので、それを援用する。

(三)  借家法適用の必要性

民法が同じ物の貸借関係について、使用貸借と賃貸借との区別を設け、法律上の取扱いに差をつけ、賃貸借にのみ借家法の適用を予定したのは、使用貸借は恩恵的関係であり賃貸借は営利的関係であるからである。

使用貸借は恩恵的関係故に、紳士契約として法律はなるべく介入せず、当事者間の信頼関係に任せようとし、賃貸借は営利的関係なるが故に、法律は対立する利害関係を規律、調整しようとするのである。

借家法が賃貸借にのみ適用されるのも、このような理由によるのである。

従業員と使用者との雇傭関係及び、その社宅使用関係が恩恵的なものでないことは前述したとおり、一見して極めて明瞭である。そして、借家法を特に制定して、借家人の保護を計つた理由は、物価騰貴と住宅の払底とにある。

家を追出された人が住むに家なく路頭に迷い、その生活を維持できなくなることを防止することにあつたのである。近時全国的に住宅事情は益々悪化している。

福岡県、熊本県、大牟田市、荒尾市においても同様住宅難は益々深まりつつある。福岡県の例を挙げると、住宅一〇五、〇〇〇戸が不足していると官庁が発表している。

既存住宅で三〇年をこえて建替を要するものが九三、〇〇〇戸もあり、九畳未満の住宅が九二、〇〇〇戸という住宅難である。熊本県も同様である。それに益々拍車をかけるのに炭鉱の合理化がある。

炭鉱の労働者は、既に首切られた人を除いて、今後七六、〇〇〇人も首切られようとしている。この首切によつて、社宅を暴力的に追出された人達によつて、住宅難は更に増加するであろう。今こそ、借家法の精神を正しく汲んで、居住者の保護を全うしなければならない。

そうでなければ、裁判所は自ら、政府の石炭合理化、棄民政策の一端を荷う結果になるであろう。

(四)  結論

借家法の一条の二は(建物の賃貸人は自ら使用することを必要とする場合、その他正当な事由のある場合に非ざれば賃貸借の更新を拒み又は解約の申入をなすことを得ず)としており、判例はその正当な事由の判断するに当つては「賃貸人及び賃借人の双方に存するあらゆる事情、利害得失を具体的に比較考察し、さらに一般の社会状態、殊に解約の申入が効力を生じた場合に賃借人のおかれる困難な状況も十分に考慮しなければならない」と判示しているのが一般的傾向である。

本件社宅の場合でも、正当事由の認定に際しては、家主たる会社側の事情と同時に、借家人たる被告側の事情をも比較考慮しなければならない。

したがつて、これら両者の事情は各社宅毎に、各被告毎に具体的に比較考慮されなければならないのである。

かかるとき、会社には、その明渡を求むる正当な理由は存在せず、本件明渡請求は理由がないものといわなければならない。

第三、原告会社が被告川浪定資、村井政光、中嶋広、原口美治、竹本肥種を退職せしめたのは正当な事由のない解雇権の濫用によるもので無効である。従つて原告会社と右被告等の間には今尚雇傭関係があり、本件社宅は正当な権限に基いて使用しているのである。この点は反訴において詳述する。

第四、権利濫用の主張

第一、第二、第三の主張が、仮に理由がないとしても、本件明渡請求は権利濫用であり、民法第一条第三項に違反して到底許されない。

わが民法の権利体系は、資本制商品交換社会における法秩序の基盤として、「権利の絶対的自由」を原則とした。

この個人主義的権利絶対思想は、ローマ法以来の「自己の権利を行使するものは、何人に対しても不法を行うものではない」の法諺に示された原則に端的に表現せられているのであるが、わが民法も又この原則を当然の事理として是認したわけである。しかしながら、斯くの如きは、法律が本質的に社会的でなければならないという要請を無視しているものといわねばならない。所有権についても、それが物に対する唯一絶対の支配を内容とする権利であるということは、所有者が社会の他の成員の利害を全然顧慮しないで利己的の立場のみから所有権をいかすようにも行使し得ることを許すものとはいえないからである。

即ち、権利は本来社会生活における個人と個人との関係を規律するために認められているものであるから、権利の行使に当つても、権利者以外の者の利害を全然顧慮することなしに、権利者が社会から絶縁された孤独の存在であるかのように振舞うことは到底許されないのである。

そこで、「自己の権利を行使するものは何人に対しても不法を行うものではない」というローマ法以来の法諺に表現されている権利者中心の個人主義的な権利行使の絶対性に関する考え方は、是非正されなければならない。

権利濫用禁止の理論と実際とが生まれた所以である。

戦前においても、権利濫用に関する研究、判例は多数存在していたが、戦後民法の改正に伴い、新たに第一条に権利濫用に関する規定が設けられた。

右の様に権利濫用禁止の成文化と共に、権利濫用制度の実際上の適用範囲は著しく拡大されるにいたつている。

所有権の濫用はいうに及ばず、抵当権、質権、会社制度の運用にまでその適用は及び、住宅事情の悪化に伴つては、解除権か家賃増減請求権等の濫用が問題になり、更に身分関係においても、親権の濫用、養子制度の濫用として裁判上考慮されるにいたつているのである。

このように、現在権利濫用の適用の範囲は私法の全領域に及んでいるといつても過言ではない。

権利濫用禁止に関して、わが民法は「権利の濫用は之を許さず」、と規定するのみで、その要件、効果については何ら触れていない。

学説判例の傾向は「シカーネ禁止」より「客観的利益衡量」へと発展してきているが、末川博著「権利濫用概説」はわが国判例の傾向を分折し

(イ)  加害の意思ないし目的に重点をおくもの

(ロ)  公序良俗に反することをもつて標準とするもの

(ハ)  社会観念によつて決すべしとするもの

(ニ)  主観的な法律感情若しくは権利感覚というような直観に訴うべきもの

(ホ)  権利者における利益の欠陥、他人への加害、社会経済損失などを考慮すべしとするもの

に分けている。

そして、このような基準は要するに、権利が法律上認められている社会目的に反して行使されるときにその濫用があるとするものであり、公序良俗に反するとか、社会観念上認容できぬとかいうような点に、権利濫用の標識を求めることは正しい、と結論する。

本件においては、明渡請求を求められている人達は、後に述べるように政府の対策従属エネルギー政策の犠牲となり、政府、会社の生活安定上の幾多の約束にもかかわらず、何ひとつその約束を履行されず、失業の巷に投げやられ、今又住宅難の街にほうり出されようとしている人達である。

この人達の憲法上の権利である文化的で健康な最低生活を営む権利は、今や完全に奪い去られようとしている。

権利濫用の理論は、将にこの人達の救済のために適用されなければならない。

反訴請求原因として

第一、訴外三池炭鉱労働組合(以下組合又は三池労組という)は反訴被告会社(以下会社と略称する)の経営する三池鉱業所、三池港務所、株式会社三池製作所の従業員をもつて組織する労働組合で日本炭鉱労働組合の一支部であり反訴原告等は何れもその組合員である。

第二、

一、(一) 反訴原告川浪定資、同竹本肥種は何れも反訴被告会社の従業員であり、かつ訴外組合の組合員であるが、会社は昭和三四年一二月一五日限り反訴原告等を解雇する旨通告してきた。

(二) しかし右解雇の意思表示は右反訴原告等の正当な組合活動を理由とするものであつて無効である。

二、反訴原告村井政光、同中嶋広、同原口美治は何れも反訴被告会社の従業員であり、かつ訴外組合の組合員であるが、会社の強要により、反訴原告村井政光、同中嶋広は昭和三四年六月三〇日、反訴原告原口美治は同年一一月四日夫々希望退職届を提出したが右は反訴原告等の真意でなかつた。右退職は実質的には反訴原告等の組合活動を嫌い、三池労組の組織の破壊を狙つた解雇であり、労働組合法第七条第一号三号、民法第九〇条、同法第一条三項により無効である。更に以下具体的に詳述する。

三、反訴被告会社の不当労働行為について

(イ)  三池労組の結成と成長

三池労組は昭和二一年二月三日結成されたが、その頃は注目される程の強い組合でなく、会社の昭和二四年七月の人員整理(解雇者三三六名)同二五年一〇月のレツドパージ(組合活動家一九二名解雇)同年一一月の人員整理(解雇者四六四七名)には何れも反対闘争を組むことができず多数の解雇を余儀なくされたが、昭和二八年の企業整備反対闘争は大衆の創意と力量を発揮して闘われた結果、同年一一月会社をして一、八二五名の指命解雇撤回をなさしめ、日本最強の労働組合といわれるようになつた。

このようにして強化された団結力を背景に昭和二九年から三〇年にかけて長期計画闘争が闘われた結果、昭和三一年一一月会社との間に長期協定が結ばれ保安優先、完全雇傭、入替採用の確立などの成果があがり、三池労組は組合員の生活と権利を守るための強固な組織に成長したのであるが、会社は昭和三四年一月今次闘争の口火となつた第一次合理化案を、次いで同年八月第二次合理化案を提示して三池労組との間に深刻な争いが展開されるに至つた。

(ロ)  エネルギー革命論を武器とした企業整備の嵐

昭和三二、三年頃から我国では炭坑のはげしい合理化が始まり非能率炭坑はつぎつぎに閉鎖され、大手炭坑でも人員整理が相次いだため各地で労働争議がぼつ発した。政府や資本家は石炭産業の企業整備を必要とする理由としてエネルギー革命論や石炭産業斜陽論を唱えた。

然し、わが国の右石炭危機を産みだした要因は石炭産業が固有の古い生産機構のもとにあつたこととアメリカ帝国主義による経済支配の影響を受けたことが最大のものである。

即ち、戦前からのわが国の炭鉱経営の特色として、第一に石炭資本家は自ら鉱区を所有していたこと、第二に炭鉱労働者がおどろくべき低賃金で酷使されてきたことである。石炭資本家は炭坑労働者を低賃金で酷使して自らは高い超過利潤を挙げ、且つ優良鉱区の私的独占や独占価格の形成等によりはじき出されるぼう大な利益に寄生安住して資本の有機的構成を高め生産力を引きあげることには熱意をみせなかつた。

この古い生産機構が石炭産業危機を招く要因となつたもので炭坑労働者が極端に搾取されてきたことが石炭産業の近代化を阻むこととなり、そのはねかえりとして石炭産業の危機がとなえられる事態となつたのである。

又石炭危機のもう一つの要因はわが国のエネルギー政策がアメリカ帝国主義に従属させられていることである。アメリカ資本の石油が低い関税率によつてわが国に流れこみそれによつてわが国の石炭産業を圧迫しているのである。

以上のように炭坑労働者が直面している企業整備の嵐は、もとをさぐれば永い間の石炭資本の誤つた経営方針と政府の対米従属政策に基因しているのであつて炭坑労働者には一片の責任もない。

(ハ)  今次斗争の経過と反訴被告会社の不当労働行為

(a) 昭和三三年一〇月頃新聞はさかんに三井の赤字経営を報道し、エネルギー革命論や石炭斜陽論がこれをバツクアツプしたが、会社は昭和三四年一月一九日三鉱連(三井鉱山労働組合連合会)に対し、企業再建のための合理化策として六、〇〇〇名の人員削減を含む大巾な賃金切下げ、福利厚生に関する諸条件の引下げ等を内容とする第一次合理化を提案してきた。当時エネルギー革命論や石炭斜陽論におされぎみだつた三鉱連はこれと充分な闘いを組むことができず希望退職方式による人員整理なら認めて良いと回答し、交渉は四月四日一応妥結したが、希望退職者募集の結果退職したものは一、三二四名に過ぎなかつた。

(b) その後三鉱連は会社の第二次合理化にそなえて対策を予め練つていたところ、会社は昭和三四年六月二六日の団体交渉で三鉱連に賃金の分割払を提案してきた。三鉱連は毎日のように団体交渉を行つて賃金分割払案の撤回を求めていたが、会社は同年八月二八日、遂に第二次合理化案を提示してきた。その内容は人員関係では三鉱連全山で四、五八〇名(三池二、二一〇名)の人員削減、入替採用の中止、鉱業学校卒業生の採用中止、解雇に伴う配置転換など、賃金関係では残業公休出勤の削減、特殊労働賃金の切下げなど、福祉関係では永年勤続者表彰制度の中止、保育園の独立採算制への切換、三池製作所の三池鉱山よりの分離その他であり、これにより年間約一六億円の経費節減ができるというのであつた。

三鉱連三社連は会社との間に引続き団体交渉を行つたが同年一〇月七日交渉は決裂した。

会社は同年一〇月一二日から突然希望退職者募集の挙にでてきたので三鉱連は一一月五日から再び会社と団体交渉に入り同月六、七日両日代表交渉をしたが、その時会社は始めて三池における業務阻害者の問題を持ち出し、今回の企業整備は退職者数を確保するだけでなく三〇〇名に上る業務阻害者を解雇したいというのであつた。業務阻害者の排除というのは組合流にいえば組合活動家の解雇である。

会社の合理化攻勢に最も強い抵抗を示すと思われる組合活動家を追放し労働組合を骨ぬきにしようというのである。炭労戦術委員会はこれに対し(1)指名解雇は絶対に容認しない(2)生産態勢には協力する(3)以上が確認された場合は自由意思にもとずく退職は統制しない旨の方針を決定し三鉱連はこの三原則に基いて会社と交渉したが会社は業務阻害者の排除には飽くまで固執する態度を変えなかつた。

(c) 中山斡旋案

中央労働委員会は事態の成り行きを重視し同年一一月一一日労使双方の代表者を呼んで所謂中山斡旋案を示した。中山斡旋案の骨子は(1)生産阻害のもとを排除することは再建の根本と思われるので会社、組合は協力して職場の規律を確立し生産目標の達成につとめること(2)人員整理については会社原案の数字(三池二、二一〇人)の実現を期し一〇日の期限を以て希望退職者の募集を行うこと、募集について組合は阻害しないことなどの七項目にわたるのであつた。

三鉱連は炭労中闘の決定にもとづき、右中労委の斡旋案について会社に対しその考え方をただすため団体交渉を申入れたが、会社は一一月二四日之を拒否したので翌二五日「斡旋案は組合破壊と大量首切の要素を含んでいること」を理由に中労委に対し斡旋案拒否の回答をし、会社もその頃斡旋案拒絶の回答をした。

(d) 退職勧告及び指名解雇

会社は昭和三四年一二月二日から五日にかけて会社の勧誘に応じなかつた三池の一、四七一名に退職勧告状を送り一二月一〇日までに希望退職を申出なければ指名解雇を行うという高圧的な措置にでた。退職勧告状は組合員の手で回収されたがその結果会社のいう業務阻害は三〇〇名どころか各職場の組合活動家を根こそぎ追いだし、労働組合運動の息の根を止めようとする会社の意図が歴然とした。

例示すると現役執行委員中一八名(総数七八名、括弧内は以下同)、現役政治局員九名(三五名)三鉱労組委員一七三名(七五〇名)行動隊班長以上一〇二名(一八七名)職場婦人部役員一二名(九〇名)職場委員や地域分会役員約三〇〇名、社会党員一二〇名共産党員三一名、以上合計約六三七名の組合活動家が含まれていることが判明した。会社は一二月一〇日までに希望退職を申出なかつたものに対し一二月一日付であらためて解雇通知を出し、それによると一二月一六日から解雇の効力を生ずるものとされていた。

(e) 第一次ロツクアウト

一二月一四日会社は指名解雇後の配置転換について山元団交を申入れてきたが、指名解雇に反対している組合としては之を拒否したところ、昭和三五年一月二五日から三池鉱業所全域にわたつてロツクアウトが実施された。組合は直ちに全面ストで切り返えし、この日から三池炭鉱の生産施設は完全に動きを停止した。

(f) 三池労組の分裂

三池労組の分裂が表明化したのは三月一五日の中央委員会からであるが、これは会社側の暗躍、全労分裂主義者の支援等により予めお膳立されていたのである。三月一五日には三鉱労組刷新同盟がつくられ一七日には約四、〇〇〇名の第二組合が発足した。第二組合は三月二四日から会社と生産再開交渉を始め、二七日生産再開の宣言を発表し、同夜から翌日未明にかけて四山の第二人工島で、二八日早朝から三池鉱業所の三川鉱、四山鉱、宮浦鉱、港務所、本所等で第二組合員の強行就労が夫々試みられ各所でピケ隊と衝突や小ぜり合いをしたが同朝強行入坑できたのは八三〇名(第二組合発表)となつている。同日の強行就労で一番ひどかつたのは三川鉱の衝突で、第二組合員とピケ隊は入りみだれて衝突し双方の負傷者数は一〇〇名をこえ後にこれは三川鉱乱斗事件として起訴されることとなつた。

しかし会社にしてみれば第一組合と第二組合の衝突こそむしろ望むところであつた。

(g) 藤林斡旋案

三月一八日から三池問題で斡旋をつづけていた藤林中労委会長は四月六日労使双方を呼んで斡旋案を示した。その案によると一、二〇〇名の指名解雇を撤回して之を自発的退職にするという趣旨であつたが、実質は三〇〇名の業務阻害者を含めて一、二〇〇名の解雇を容認するものであつた。

炭労は会社の不当労働行為を是認する趣旨の斡旋案を拒否した。

(h) それから炭労は三池問題を炭労全体の問題として三池斗争を支える体制をつくり総評の支援のもとに、同年七月二〇日中労委から労使双方に対し事態収拾のための休戦申入れがあるまで、会社と三池地区で日本労働史上空前の労働争議を展開した。その間、労使間及び第一組合と第二組合間でしばしば混乱がおこり数多くの刑事事件も惹起した。これらの混乱を引きおこした原因は、会社の頑強な組合破壊政策、一部の分裂主義の挑発、官憲の不当弾圧、暴力団の争議介入などであつて、解雇の理由になつた争議中の数多くの事件は、このような激しい闘争の中から止むを得ず生起したものである。

(i) 中労委斡旋案の提示

昭和三五年七月一九日中央労働委員会は極度に緊迫した事態を収拾するため労使双方に対し休戦の申入れをした。中労委のこの申入は異例の措置ではあつたが、炭労としては若しこの申入を拒否するときはその責任が炭労に負わされることを惧れ七月二一日労働基本権が守られることを強く要望して中労委の申入を受諾した。次で同月二五日会社も右申入を受諾した。

八月一〇日中労委がだした斡旋案の内容はつぎのようなものであつた。

(1) 指名解雇をめぐる今次三池争議の重点は指名解雇の当、不当、職場活動の是非、争議行為中の実力行使の限界の三点にしぼられる。当委員会はこの三つの重点について労使双方のいい分を検討した結果によると

第一の問題については、指名解雇は好ましいものではないことは勿論であるし、この措置に現われた労務政策にも勿論欠点がないわけでもない、しかし今回の指名解雇は長期にわたつて難航を重ねた交渉のいきさつや石炭産業が苦境の中で遂行されたという事情などからみてやむをえなかつたものと認められる。問題はこの場合の解雇該当者の中に組合のいわゆる組合活動家が含まれている点である。いわゆる活動家を個々人についてみれば、その解雇の当、不当について余地が残るかも知れない。しかし組合のいわゆる活動家は、会社のいうところの生産阻害者であつて、表裏一体となつて互いに争つている事項を調整のこの段階で個別的に洗うことはできない。

第二の問題については職場闘争のありかたそのものに問題がある。昭和三一年以来の三池の職場闘争の実態は、会社の労務政策の不備や生産点闘争に対する組合指令の欠如と相まつて正常な組合運動のワクを逸脱した事例のあつたことを認めざるを得ない。少くともこの闘争の形態が昭和二八年の争議以来、労使の間に醸成された不信感を一層深刻なものとし今次の類例のない大争議にまで発展したものである。

第三の問題はこの争議について最も多く注目を集めたところである。事実今次争議に現われた暴力行為はきわめて大規模な大衆の威力をもつて法の執行を事実上不可能ならしめるなど、明らかに常識の域を脱しており、社会秩序を守るという点ならびに労使関係の将来のためにもまことに憂慮すべきものがある。争議調整を任とする労働委員会の従来の斡旋事例においては激しい闘争の中で若干の行き過ぎは争議解決の機会に相互にこれを水に流すという原則で考えられていた。今回の場合はこの原則を越えるものであるが、両当事者がこの斡旋案によつて問題の解決をする場合には、司直の関係するものは別として、新たに争訟を重ねることなく、できれば従来の争訟についても双方互譲の精神をもつて円満な解決のできるよう格段の努力を支払われたい。以上のような判断のもとにつぎの通り斡旋条項を指示する。

一、解雇問題の収拾のために本日以降、一ケ月の整理期間をおく。

二、右の一ケ月の整理期間を経過した者については、会社は昨年末の指名解雇を取消し、解雇該当者はこの期間満了の期日をもつて自発的に退職したものとする。

(1) 右の自発的退職者に対しては、会社は昨年末、指名解雇者に対する会社の通告書と同趣旨によつて計算した退職金のほか、特別生活資金として金二万円を支給する。

(2) 解雇該当者のうち勇退を希望する者は、この期間中にその旨を通告する。この勇退者については会社は昨年末の指名解雇を取消し、昨年末の希望退職にともなう退職金の特別措置により計算した退職金の外金五万円を加給する。

(3) 会社はこの一ケ月の期間を再考慮期間とし、昨年末の指名解雇の措置についてもこれをさらに再検討して修正の余地があればこれを修正する。

三、昨年末の指名解雇について、これを不当労働行為として争おうとする者は、争議行為などの実力行使に訴えることなく、裁判所又は労働委員会に提訴申立を行うことを妨げない。

四、右離職者については、会社は極力就職の斡旋、職業訓練、職場の造出など万全の策を講じ現実に失業者を出さないようにつとめること。

五、(1) この斡旋案の提示後直ちに労使双方の代表者をもつて生産再開のための委員会を構成し、ロツク・アウト、スト、ピケの解除を伴う事態の収拾策と就労の条件並びに順序についての取決めを行なうこと、ロツク・アウト、スト、ピケの解除の取決めがまとまるまでの間は当事者間の合意がない限り昭和三五年七月二〇日の申入れ第四項なお書の精神に従つて現状を維持すること。

(2) 右委員会は原則として東京で開き、本社、三池鉱業所、三池港務所、炭労、三鉱労組、三鉱連、三社連、三池職組ならびに三池新労組の代表者を以て構成するが、具体的メンバーは問題によつて適宜考慮すること。

六、生産の再開に当つては、会社は新旧組合員に対して差別取扱いをしないこと。

七、以上斡旋項目についての解釈上の疑義を生じた場合、これ等の各項目の実施に当たつて紛争を生じた場合、または第五項の委員会の取決めがまとまらず、関係当事者から申請があつて、斡旋者がその必要を認めた場合には中労委の解釈または斡旋によつて決める。この解釈又は斡旋には労使双方異議を唱えない。

(j) 右中労委の斡旋案は労働者の権利を完全に無視するものであり、三池闘争を支援した全国の労働者はこの斡旋案に驚き憤激した。しかし炭労は四囲の情勢からついにこの斡旋案を受諾することをきめ、三池争議は妥結して、一、二〇〇名の労働者はその職場を追われた。

(ニ)  争議終了後の会社の不当労働行為

(a) 差別待遇

中労委斡旋案第六項によれば「生産再開にあたつては、会社は新旧組合員に対して差別取扱をしない」ことになつているのに会社はこの機会をとらえて、一気に三池労組の組織を潰滅させて第二組合を育成しようと企て、就労後の第一組合員と第二組合員との労働条件を著しく差別し、そしてこの差別、賃金、期末手当、配転を餌にして三池労組員に対し之を脱退して第二組合に加入するよう策動を続けている。

(b) 争議の責任追求

会社は昭和三六年一一月刑事被告人として審理中の三池労組員三一名に対し懲戒解雇の申入をし、同三七年一二月には争議の指導責任追求として三池労組の組合長、副組合長、書記長、各支部長等最高幹部一〇名の懲戒解雇の申入をしてきた。この懲戒解雇申入れが斡旋案に違反していることは明瞭である。

(ホ)  結語

以上会社の三池労組に対する組織攻撃を順を追つて述べたが会社の企図するところは三池労組の団結破壊である。殊に、今次三池闘争は一、二〇〇名の職場活動家の指名解雇が中心であつた。反訴被告会社はこの一、二〇〇名の首切を強行するために、様々な不当労働行為を行つて三池労組の組織破壊を企て、争議終了後も引続き第一組合と第二組合の差別待遇を通じて三池労組の団結破壊を企てて不当労働行為をくり返しているのである。

第三、

仍て反訴被告に対し反訴原告等が雇傭契約上の地位を有することの確認を求めるものであると述べた。

本訴及び反訴の立証<省略>

理由

本訴についての判断

原告会社(以下会社と略称する)が本店を東京都におき、事業所として福岡県大牟田市の三池鉱業所、三池港務所その他各地に五鉱業所を設け石炭の採掘販売等を業とする会社であること、亡森乙次郎(元被告)及び被告川浪定資、村井政光、中嶋広、原口美治、竹本肥種が別表記載の日に会社に雇われ夫々同表記載の通り建物の貸与を受け、これに入居して今日に及んでいるが、同人等が同表記載の日に何れも形式上退職になつていること及び右森乙次郎が本訴係争中の昭和三七年九月一一日死亡し、その相続人である被告森トミ、克代、静代、満夫、幹代が乙次郎死亡後も引続き同建物に居住していることは当事者間に争がない。

争点

第一、本件社宅の使用が賃貸借として借家法の適用があるかどうかが争になつているので調べてみると

一、被告訴訟代理人は本件社宅の使用は入居の際の賃料五〇〇円乃至七〇〇円の賃貸借契約に基くものであると主張するが之を認めるに足る証拠がないのみならず、反て証人立山久、同山室昌三の各証言によれば原告会社と社宅の入居者間には一月五〇〇円乃至七〇〇円で貸すという明示的な契約はなく又入居者の給料から五〇〇円乃至七〇〇円を賃料として差引いている事実もないことが認められる。従つてこの点に関する被告等訴訟代理人の主張は理由がない。

二、被告等訴訟代理人は仮に前項の主張が認められないとしても、社宅制度の沿革並びに本質からして社宅の家賃は賃金から差引かれているものとみるべきであるから入居者が名目上の家賃を払つていなくても社宅の使用は有償的であると主張するので調べてみると、およそ会社とその従業員の社宅の使用関係はその態様がいろいろであるから、之が有償的であるかどうかを判断するには社宅制度の沿革並びに本質から抽象的に論議すべきでなく、むしろ具体的にその会社が社宅を設けている理由並びに会社と従業員間の社宅使用に関する規則又は契約等を検討して判断するのが相当である。本件について調べてみると成立に争のない甲第一号証、第二号証の一、二の記載によれば、原告会社が社宅を貸与する理由は従業員の通勤の便及び業務能率の増進を図り、企業の維持遂行に資する反面従業員に生活の本拠を与えて生活条件の向上を図るという従業員の福利を目的とするものであり、原告会社は右趣旨のもとに鉱員就業規則及びその附則鉱員社宅規則を設け、社宅に入居する者に対しては誓約書を提出せしめて之に入居せしめていること、社宅の貸借には賃料をとる定めがなく、ただ一定限度以上の電燈料のみが入居者の負担とされており、水道料は勿論のこと修繕費その他の管理費一切も原告会社が負担していることが各認められ、以上を綜合すれば原告会社と従業員間の社宅使用関係は無償であると認めるのが相当であり、この認定を左右するに足る証拠はない。

三、次に被告等訴訟代理人は、原告会社が社宅の非居住者に対し住宅手当を支給していることから推して本件社宅の供与は賃金の一部であり有償であると主張するので検討してみると、証人立山久の証言によれば原告会社はその従業員中社宅に入居していない者に対し毎月一定の住宅手当(名称は通勤手当)(昭和三〇年七月二〇日の団体交渉で借家に居住する者六〇〇円、自宅に居住する者四〇〇円、同三二年一二月の団交で借家一、〇〇〇円自宅七〇〇円、昭和三四年一月の第一次合理化による四月六日協定で借家四〇〇円、自宅三〇〇円となる)を支給していることが認められるが、右住宅手当は(イ)自宅居住者と借家居住者によつて支給額が異なること、(ロ)従業員の賃金とは別個に増減されていること及び原告会社が社宅を供与する目的等より推して原告会社が社宅に入居している者と入居していないものとの福利の均等を計るため支給しているものとみるべきで之をもつて賃金の一部(労働の対価)として支給しているものと認むべきではない。従つて本件社宅の供与も亦入居者に対する賃金の一部として原告会社が供与しているものとは認められない。

四、更に被告等訴訟代理人は本件社宅の使用関係は雇傭関係と一体不可分ではなく全く別個の関係であり、たとえ社宅でも賃貸借契約があれば借家法の保護を受けられると主張するので考えてみると、なるほど原告会社の鉱員就業規則六八条によれば鉱員を社宅に入居させることがあると規定され、鉱員を入居せしめるかどうかは原告会社の自由であり、従つて社宅の使用関係は雇傭契約と一体不可分のものでなく別個のものであることは所論のとおりであるが、本件社宅の使用は前認定のように無償であつて有償でないから賃貸借と認めることはできない。されば借家法の適用はないというべきである。

五、被告等訴訟代理人は借家法第一条の二により原告会社には本件社宅の明渡を求める正当理由がない旨主張するが、前認定の通り本件社宅の使用関係については借家法の適用がないのであるから本主張も亦理由がない。

六、被告等訴訟代理人は被告川浪定資、村井政光、中嶋広、原口美治、竹本肥種等は今なお原告会社と雇傭関係があり同被告等は正当な権限に基いて本件社宅を使用しているものであると主張するが、後に同被告等の反訴について判断する通り本主張も亦理由がない。

七、被告等訴訟代理人は本件明渡請求は権利の濫用であると、抗争するので調べてみると元来法律上権利を与えられたものは任意にその権利を行使し得るのが原則である。然しながらもしその権利の行使が社会生活上到底容認できないような不当な結果を招来するとか、或は他人に損害を加える目的のみでなされるなど公序良俗に反し道義上許すべからざるものと認められるようになれば、法は之を権利の濫用として禁止するのである(最高裁昭和三一年一二月二〇日判決)。そこで本件について調べてみると(イ)後に反訴において認定するように被告村井政光、同中嶋広は昭和三四年六月三〇日、被告原口美治は同年一一月四日被告川浪定資、同竹本肥種は同三五年九月九日、亡森乙次郎は同三五年一二月二六日それぞれ原告会社を各任意退職してその退職金も受給済みであること(ロ)成立に争いのない甲第一号証、第二号証、第一二号証の一、二によれば、原告会社を退職した者は原則として一月以内に社宅から退去しなければならないことになつているが、例外として原告会社が昭和三四年に実施した希望退職募集に応募して退職したものは退職の日から二ケ月間内、昭和三五年の中労委斡旋案によつて退職した者は退職後六ケ月間内に夫々社宅を退去しなければならないことになつていること、(ハ)従つて被告村井政光、同中嶋広は昭和三四年八月三〇日限り、被告原口美治は昭和三五年一月四日限り、被告川浪定資、同竹本肥種は昭和三六年三月九日限り、亡森乙次郎及び相続人であるその他の被告等は同三六年六月三〇日限り、何れも別紙目録掲載の社宅から退去しなければならないものであること、(ニ)成立に争いのない甲第一一号証の一、二と証人近藤年雄、北岡儕、江崎次郎の各証言を綜合すれば三池炭鉱の社宅は約一万三〇〇余戸でその約一割位が空戸となつているが、他方職員社宅の不足、鉱員社宅の改造(二戸を一戸に改造する)の必要、鉱員の入居希望者が多数あること、空戸中老朽のため廃棄処分を要するものが二〇〇戸以上もあること等のためこれ等を差引くと結局数百戸の社宅不足を来たしていること、(ホ)会社が退職者に対し社宅の明渡を求める理由は、社宅の入居者が退職したら社宅を出るということは会社の規則で定められているので退職者をそのまま入れておくと、規則を守つて退去した人が損をすることになり、いわゆる正直者が馬鹿をみる風潮ができて労務管理上及び社宅計画を推進する上で障害となること、(ヘ)証人立山久、近藤年雄、北岡儕の各証言と被告本人川浪定資、村井政光、中嶋広の各供述によれば、被告川浪は妻と三子(一七才、一五才、一四才)の五人家族で同被告は現在荒尾市の前田鉄工所に勤務しその移転先を探がしているがなかなかみつからないこと、被告中嶋は父母、妻及び子供二人の六人家族で現在有明機械という会社に勤めているが家の移転先がないこと、被告村井は妻子等六人家族で前畑組の人夫等をして働いているが体が弱く充分に稼働できないため収入がすくなく、之に見合うような安い家賃の借家が見当らず且つ市営住宅の申込みも五回したがくじに漏れたこと及びその他の被告等も移転先がみつからないため未だ転居ができないことが各認められる。以上の事実を綜合すれば被告等が各数名の家族と共にその移転先がなく已むなく本件社宅に残留しているものであることは判るが他方被告等は本件社宅の退去期限後既に三年以上乃至四年以上も移転先のないことを理由に無償で各社宅を占拠しており且つ弁論の全趣旨からみて被告等が近い将来に任意退去する見透しがつかないこと、そのため会社は社宅の利用管理、労務管理等に種々の支障を来たしていることが看取される。而して以上のような諸般の事情のもとにおいて会社が本件明渡請求をするのはけだし已むを得ない権利の行使とみるべきであつて、その結果として被告等が近い将来本件社宅から強制移転しなければならないとしてもそのため本件会社の行為を公序良俗に反し或は社会生活上到底容認できないような不当な結果を招来するとして権利の濫用を以て非難するのは失当である。

結論

以上により被告等の主張又は抗弁は凡て理由がないことが明白となり、被告等は何れも正当の権限なくして本件社宅を不法に占拠しているものであるから被告等に対しその明渡を求める原告の本訴請求は理由あるものとして容認する。

反訴についての判断

一、反訴原告川浪定資、同竹本肥種の主張事実について

反訴原告等が昭和三五年九月九日付希望退職によつて退職したのは反訴被告会社(以下会社と略称する)が反訴原告等の正当な組合活動を理由とする解雇に基くものであるから無効であると主張するので調べてみると

(一)  右反訴原告等の退職は昭和三五年八月一〇日付中央労働委員会斡旋案に基くものであるが労使双方がその斡旋案を受諾したことは当事者間に争いのないところである。そこで成立に争いのない甲第一九号証により斡旋案の内容について検討してみると

(イ) 解雇問題収拾のために昭和三五年八月一〇日から一ケ月の整理期間をおく。

(ロ) 右整理期間を経過したものについては会社は昨年末の指名解雇を取り消し、解雇該当者はこの期間満了の期日をもつて自発的に退職したものとみなす。

(ハ) 右自発的退職者に対しては会社は昨年末指名解雇者に対する会社の通告書と同趣旨によつて計算した退職金のほか特別生活資金として金二万円を加給する。

(ニ) 解雇該当者のうち勇退を希望するものはこの期間中にその旨を会社に通告する。この勇退者については会社は昨年末の指名解雇を取り消し、昨年末の希望退職に伴う退職金の特別措置により計算した退職金のほか金五万円を加給する。

(ホ) 会社はこの一ケ月の期間を再考慮期間とし、昨年末の指名解雇の措置についてこれをさらに再検討して修正の余地があればこれを修正する。

(ヘ) 昨年末の指名解雇について、これを不当労働行為として争おうとする者は、争議行為等の実力行使に訴えることなく、裁判所または労働委員会に提訴または申し立てを行うことを妨げない

というのであり、退職者が自発的退職の処置をうけるか或は勇退者となるかは一ケ月の猶予期間をおいて退職者に任意選択の自由が与えられており又今次の指名解雇についてこれを不当労働行為として裁判所又は労働委員会に提訴または申し立てを行う権利も保留されていることが認められる。そこで反訴原告川浪定資、同竹本肥種の退職について調べてみると成立に争いのない甲第一三号証の一、二及び同第一八号証の一、二によれば同反訴原告等は前記(ニ)項による希望退職の方法を選択し昭和三五年九月九日付を以て会社を勇退し同年一〇月中その退職金も各受領していることが認められる。又証人宮川睦男の証言によれば解雇の指名を受けた者一、二〇〇名中右(ニ)項による勇退者は一、〇〇〇名を超え、その退職者中右(ヘ)項に基いて解雇無効の提訴をした者は一人もなく只右(ロ)項による退職者中約一六七名のみが提訴したに過ぎないことが認められる。右反訴被告等が勇退者として退職に際し何等異議を留めることなく退職願を提出し、退職金の外任意退職者のみに支給される特別加給金をも受領し、なお若し解雇について異議があれば(ロ)項による退職者と共に解雇無効確認の提訴ができたに拘らず当時之をしなかつたことは右退職願提出により会社に対し解雇について争いはない旨の黙示の意思表示をしたものと解するのが相当である。成立に争いのない甲第五号証乃至第九号証の記載及び証人宮川睦男、岩下静男、坂口直行の各証言によれば会社は多年にわたりレツドパージ、企業整備、産業合理化等に名を藉りて労働者に、馘首或は待遇改悪等の犠牲を強いて自己保全を図り之に反対する三池労組の組織的労働運動にしばしば弾圧を加え、去る昭和三四年三五年の所謂三池争議においては組合活動家を業務阻害者と指称して指名解雇し、或は第一組合加入者と第二組合加入者との差別待遇を反覆累行して三池労組の崩壊を企図し現に引続き実行しているもので本件反訴原告等の解雇も亦会社の右一連の不当労働行為の一部である旨証言するけれども、反訴原告等に対し会社が当初なした退職勧告が同人等の正当な組合活動を理由とするものである旨の具体的立証がないのみならず、仮に反訴原告等を含む三池労組員に対し右のような不当労働行為があつたとしても反訴原告等は前認定のように既に退職についての異議権を抛棄しているのであるから之に因り退職の効力は左右されない。従つて反訴原告等の主張は理由がない。

二、反訴原告村井政光、同中嶋広、同原口美治の主張事実について

反訴原告等が会社を退職したのは何れも真意に基かないものであり且つ実質的には反訴原告等の正当な組合活動を嫌い三池労組の組織破壊を狙つた解雇であるから、会社の不当労働行為として無効であるのみならず、権利の濫用であり公序良俗にも反するから無効であると主張するので調べてみると

(一)  成立に争いのない甲第一四号証乃至第一七号証の各一、二の各記載及び反訴原告村井政光、同中嶋広の各供述によれば、反訴原告村井政光、同中嶋広は昭和三四年六月三〇日、反訴原告原口美治は同年一一月四日それぞれ会社に希望による退職届を提出して任意退職しその頃何れも退職金或は特別加給金を受領していることが認められるが右各退職届が反訴原告等の真意に基かないで提出されたものであることを認めるに足る証拠はない。

(二)  反訴原告等の退職が会社の実質的な不当馘首であり、それは不当労働行為であり、或は権利の濫用又は公序良俗違反であるとの主張については、反訴原告等の退職につき会社にかかる不当な行為があつたことについての具体的立証がないのみならず、反訴原告等は希望退職届を会社に提出する際何の異議も述べずに退職金或は特別加給金を受領している事実から推すと反訴原告等は後日かかる主張をなす意思はなかつたものと認めるのが相当である。

当裁判所は弁論の全趣旨からみて、反訴原告等が右のような主張をするのは建物明渡請求の本訴においてその占有を合法化するための救済手段に過ぎないものと思料する。従つて反訴原告等の主張は何れも理由がない。

三、然らば反訴原告等は何れもその退職届を提出した日に会社を退職し会社との雇傭関係は終了しているのであるから本件反訴請求は失当である。

因て本訴並びに反訴の訴訟費用について民事訴訟法第八九条第九三条を適用し主文の通り判決する。

尚、反執行の宣言を付するのは相当でないと認めるので、右申立は却下する。

(裁判官 大迫藤造)

(別表)

被告名

入社年月日

入居年月日

退職年月日

備考

川浪定資

昭和二二年八月六日

昭和三三年一〇月一二日

昭和三三年九月九日

村井政光

二二、六、二五

二三、八、二四

三四、六、三〇

森乙次郎

一四、四、一七

二二、二、一六

三五、一二、二六

昭和三七年九月一一日死亡によりその妻被告森トミ、子被告克代、静代、満夫、幹代が承継

中嶋広

二一、一二、九

二八、二、一八

三四、六、三〇

原口美治

一六、四、一

二三、四、一七

三四、一一、四

竹本肥種

二三、八、一〇

三三、八、一〇

三五、九、九

(第一~第六目録省略)

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